葬送の自由をすすめる会 会結成の趣旨

 今の日本では、人が死ぬと墓地に埋葬されます。これがあたり前で唯一の葬送の方法だと考えられています。

 しかし、もともと墓を造るというならわしは日本古来のものではありません。

 かつては、一部の上流階級を除いて、庶民は遺体を海や山に捨てるのが普通でした。遺灰を海・山にまく散灰も古代からありました。庶民が墓を造るようになったのは、江戸幕府の民衆統制制度である檀家制度が軌道に乗ってきたころからです。一つの墓に何人も入るという「家の墓」が一般化したのはもっとずっと後で、明治30年代以降です。

 外国では墓地に埋葬する以外に現代でもさまざまな葬法を認めています。ネール元インド首相、周恩来元中国首相、アインシュタイン博士、ライシャワー元駐日米大使らが自然に遺灰を還したことはよく知られています。アメリカのカリフォルニア州では全体の30%が散灰だといいます。

 日本ではこのような葬法の自由は事実上強く制限されているし、法的にも違法だという考えが根強くあります。確かに、遺体をそのまま海・山に捨てるようなことは現在はできません。しかし、遺灰を海・山にまく散灰は、それが節度のある方法で行われるならば法律に触れることはありません。墓地、埋葬等に関する法律や刑法にはこれに関連する規定がありますが、どれも葬送のために遺灰をまくことを禁じるものではありません。

 私たちは、先入観とならわしに縛られて自ら葬送の自由を失っていると言えるでしょう。

 生きている人の数には限りがありますが、死者の数は年々累積して無限にふえていきます。墓地に埋葬する方法しか知らない今の日本では、死者のための墓地が山々の緑を剥ぎ取り、空き地を占拠して、生きているものが享受すべき自然を食い潰していくのです。なんという矛盾でしょう。

 狭い国土の中で、墓地の不足が深刻な社会問題になっています。山に追い上げられた墓地は環境破壊を招くので、墓地開発を一切ストップする市も出てきました。一区画でも最低3~4百万円はかかります。永代供養のできない単身者や子供のない夫婦は寺や霊園から敬遠されます。墓地を持てない悩みはこれからますます深刻になるでしょう。そのためもあるのでしょうか、遺灰を海・山にまきたいという人がふえています。

 私たちは、なによりもまず、死者を葬る方法は各人各様に、亡くなった故人の遺志と故人を追悼する遺族の意思によって、自由に決められなければならないと考えます。ですから私たちは、環境問題や社会問題だけから葬送の自由を主張するものではなく、墓を造る自由を否定するものでもありません。もちろん遺骨の散乱を招くような無秩序な葬送の自由を主張するものでもありません。

 私たちが「葬送の自由をすすめる会」を結成した目的は、伝統的葬法を復活させるとともに、自然の理にかない、しかも環境を破壊しない葬法(このような葬法を「自然葬」と呼びたいと思います)が自由に行われるための社会的合意の形成と実践をめざすことにあります。

(1990年11月20日に 安田睦彦、梶山正三、薦田哲、池田敦子、小坂嘉雄 酒井卯作の6名が発表)  

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